亀ヶ岡遺跡へ2009.9.14 の記事から今回は、Aさんと青森県の亀ヶ岡遺跡というところにいって調査することにしました。 Aさんによれば、亀ヶ岡遺跡では、宇宙人のような遮光器土偶が出土し、近くの池には宇宙船が沈んでいるという話しを子供の頃聞いた記憶があるとのことでした。 そこで、その真相を確かめるために今回二人で亀ヶ岡遺跡に向かうことになったわけです。 ちなみに、たまたま今出ている「ムー」という雑誌に亀ヶ岡遺跡についての特集が出ていることを昨日知ったのですが、 もちろん共同探索をする時点ではその記事は全く読んでいません。 以下、Aさんへ送らせていただいたメールからご紹介します。 Aさんへ 今回は、以上のような結果となりました。 ガイドとともにまるの日カフェへと向かいました。 クリスタルでエネルギーチャージをすると、いつも以上にエネルギーが高まってくるのが感じられました。 その後、青森県亀ヶ岡遺跡の調査へと向かいました。 急に場面が変わり、あたり一面に草原が広がっている感じがしてきました。 日本の田舎の風景です。 誰かいないかなー・・・そう思っていると、しばらくして目の前の畑らしきところに、女性の姿が見えてきました。 ヘルパーかもしれません。 この人物のほかにもう一人ガイドらしき人物が来てくれて、私は彼らと以下のような話をし始めました。 時代は、紀元前1300~2500年くらい前でしょうか。 三内丸山遺跡が栄えていた頃と割と近いかもしれないという印象がありました。 人々は、自然に根ざした生活をしていました。 ここで出土した有名な宇宙人型土偶について聞いてみると、 あれは別に宇宙人をかたどったものではなく、自分達の姿をデフォルメして、いわば祭祀用に作ったものなのだそうです。 近くにあるという宇宙船が離着陸するという池を見せてもらうと、あの場所は別にそういった場所ではないのだといいます。 ちなみに、我々が宇宙船だと思っている物体は、実は進化した人間なのだといいます。 「宇宙船ではなく人間?でも、バシャールなどは、宇宙船で来たと言っていますけど。」 そうガイド達に聞いてみると、これに対する返答は特に感じられず、 とにかく、我々がUFOだと思って見ている光る物体は、人間なのだという印象が得られました。 丸い形に見えるのは、我々の知覚の問題なのかもしれません。 あるいは、ルドルフ・シュタイナーが言うように、遠い未来の人間の姿が今とは似ても似つかぬものになるならば、 丸い形に見えたとしても、あり得ないことではないのかもしれません。 生活について具体的に聞いてみました。 どうやら、この時代ですでに稲作が始まっていたらしいです。 でも、この時代の稲作はかなり変わっていて、畑に適当に稲の種?をまいて、 数カ月して成長してきたらそれを収穫すると言った極めて原始的なものだったらしいです。 人々は、収穫した稲を精米せず雑穀として食べていたようです。 稲のほかにも他の食物(木の実など)を食べていたみたいです。 そして当時の主食は、サトイモだったらしいです。 なぜサトイモ?という感じですが、そう感じられたのだから仕方がありません。 動物については、ヘラ鹿(そういう種類がいるのでしょうか?)、熊などを食べていたいみたいです。 あと、本当かどうかわかりませんが、当時の気候はかなり温暖で、青森あたりでも熱帯地方のような気候だったらしいです。 それとの関係があるのかどうかわかりませんが、マンモスのような大型の動物が生息していたみたいです。 ある家族がマンモスの肉をどこかから分けてもらって来たのが見えました(この家族には後で生活風景を見せてもらいました)。 気候に関連して、当時の日本列島の形を聞いてみると、ほぼ今と同じ形だったみたいです。 ですが、当時は、温暖すぎて、青森より南にはほとんど住めなかったみたいです。 ちなみに、この時代のすぐ後(今から3000年くらい前?)に急激に気候の変化が生じた時期があり、その時に気温が下がったという印象がありました。 「氷河」という文字が見えましたが、3000年前に氷河にはなったいないでしょうから、 たぶん氷河時代がその後にあったわけではないんでしょうね。わかりませんけど。 人々は、だいたい30戸くらいの集落を作って寄り添うように生活していたみたいです。 そのような集合形態を作っていた理由は、大型動物から身を守るためだったのだといいます。 先程のマンモスのような動物のほか、イノシシでも彼らにとっては脅威だったらしいです。 私はイノシシを間近で見たことがないのですが、襲われたら怖いかもしれませんね。 当時は、国のような組織はないという印象でした。 先日訪れたストーンサークルと同様、ムーのような古代の帝国の影響は全く感じられませんでした。 むしろ、そんなものは存在していないかのように全く影響は感じられなかったです。 ただ、シャーマンのような存在は、この時代にも存在していたみたいです。 シャーマンが集落の酋長のような存在だったみたいです。 そうかといって、それほど独裁的な印象はなく、あくまで自由な雰囲気で人々は生活していたみたいでした。 ある家庭に案内されました。 人々の姿は、わらのようなものでできた服を全身に身にまとっています。 男性も女性もほぼ同じような格好をしている印象でした。 私が案内された家族は、夫一人に妻が一人、子供が一人の3人家族でした。 子供は女の子で、髪型がちょっと変わっている気がしました。 なんといったらいいのか、髪を頭の左右で結ってある感じとでもいうのでしょうか。 当時は一夫一婦制なのかと聞いてみると、いろいろなパターンがあったみたいです。 一夫一婦の家庭もあれば、一夫多妻の家庭もあったという印象がありました。 今のように法律などはない時代ですし、特に倫理的な決まりもなかったのでしょうね。 生活はいたってシンプルでかつ平和な感じに見えました。 夫が家の外に出てどこかに行き、仲間と話している姿が見えました。 家に帰ってくると先程の妻と子供がいて、何かの話をしています。 ガイドから、私も当時、このような集落で生活していたことがあるのだといいます。 そして、Aさんとも兄弟のような関係だったことがあるらしいです。 今回の調査で私が感じられたのは、亀ヶ岡遺跡はよく言われているようなUFOや宇宙人との関係は皆無であり、人々は極めて素朴で平凡な生活をしていたのだということです。 割と長い間、日本にはかつてこのように人々が自然に根ざした生活を送っていた時代があったのかもしれませんね。 以上のような結果となりました。 今回も共同探索ありがとうございました。 |